地域の中で当たり前に「共に生きる」ことのできる社会作りをめざして。静岡市静岡手をつなぐ育成会

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親なきあとについて



親なき後を考える

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執筆者:新井肇子

娘が40代後半・親が70代となった今、これから先どのような生活になるのかと、考えるこの頃です。
もう少しの間は家族で暮らせるとは思いますが、その間に何をどのように準備していく事が大切か、すべき事を娘に生活の中で覚えてもらっています。と、言うのも、娘は中学生時代の体験から、グループホームなどの見学にも行き、話もしていますが、どうしても施設やグループホームでの生活を拒否しているのです。
娘の希望する生活をするために、ハード面では自宅で生活できるため家の改修を行い、金銭面では貯えた年金で最低限の生活が継続できるための経済的保障を考え、その管理は姉にお願いすることにしました。
一人暮らしをするために、調理、洗濯、風呂、トイレ等の掃除、必要な日用品の買い物、銀行カードの使い方、内科・歯科の通院などを一人で出来るようにしています。
困った時、寂しい時の相談者として、姉夫婦、近くに住む親戚の親子、仲良しの友達やその家族、職場の支援者等に良い所も悪い所も知っていただき、話せる環境作りをしています。
そんな事を日々積み重ねながら、親が元気なうちに、たくさんの思い出作りとして、旅行やいろいろな体験を楽しんでいます。
また、遠方に嫁いだ姉家族とのつながりはとても大切に思いますので、常に様子を伝えるようにしています。
でも、自分一人で出来ないこととして、提出すべき書類、郵便物、年金の手続きや突発的に起きることに対して、姉にサポートファイル等で伝えていますが、すぐに対応できない部分には支援が必要です。
健康である間は上記の生活が出来ても、予定通りには行かず、最終的には一人暮らしが出来ない時が来るかも知れません。
二人姉妹の姉家族が常に心掛けてくれているので心強いのですが、公的支援の充実も願い、障がいのある方みんなが安心な生活がおくれるために、親として出来る限りこれからも育成会活動をして行きたいと思います。






「親なき後」を考えてどう向き合っているか

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執筆者: 河内園子                         

80代を迎える私達の年代が子どもを授かった時代の「親なき後」は、安心な入所施設を作ることが目標でした。その時代、幼児期から入所施設の申込をしておくように行政からは指導を受けました。
 親なきあと
         イラストはイメージです
  “どうして自分の子どもが家庭で育てられないのだろう”と大きな疑問を持ちました。
我が家では自分の家庭で育てようと決めました。知的障がいのある子供たちへの療育や教育の機会がまだ充実していなかった時代のお話です。
40年余が経って、現在では家庭で育ち、地域で暮らすことが当たり前の社会になりました。一つ一つ支援の枠組みができて、社会も変化してきました。成人してからの生活の場も、自立生活、グループホーム等の様々な選択肢があります。親なき後は、今ある制度を駆使して本人が望む生活の場を考えていくことができるようになったのです。
支援の仕組みが足りなければ、仕組みを作り、内容を充実させていくための活動は親のしなければならない目標になりました。子ども本人の状況に合わせて、どのような生活の場が良いのかをそれぞれの家庭で考えるという観点に立って子育てを、親なき後を考えていくことが必要でしょう。
私は長年、保健センターの心理相談・療育相談から始まって、娘を授かってからは知的障がい児・者の相談員として沢山のご家族と出会ってきました。子どもさんの状況や家族のあり方等、家族を取り巻く環境も様々です。将来に備えてどのような形にするかの決まった形はありませんが、ただ一つ言えることは、子供が自分の手を離れる時に本人が不安なく生きていけるように備えていくことが親の役目だということです。
我が家の現状は、まだまだ準備段階ではあるのですが一つの例として提示させていただきます。
我が家は、本人49才と83才の父親、79歳の母親との共同生活です。
20代、30代と本人の独り立ちへの気持ちはグループホーム?アパート生活?と変遷しましたが、40代になり、兄と妹がそれぞれに結婚し、子どもができて「家族」を形成するようになると、“家族という環境”の変化を感じての本人の結論は、「私はお父さんとお母さんと家族?私は家族と一緒に暮らしたい」ということでした。両親も同じ気持ちで、高齢になった両親と「共同生活でやろうねと」いうことになりました。現在のところ、この状況に不都合は生じていません。
今後、両親のどちらかが先に別れることになりますが、それによっても大きく状況は変わってくると思います。どんな計画を立てたらよいか、様子見の状況が続いています。
現在の生活を見ていると、父親と一緒の時の本人の姿と母親との家事の取り組み方は全く違うのです。父親との関係では命令されたことを手伝うという状況になってしまうのですが、会話のあり方は対等でやりあっています。その都度楽しんだり、落ち込んだりの姿が見られます。一方母親とのやり取りでは共同作業はスムーズにいきますし、なんとなく指示待ち?だったりしますが、親の高齢を意識しているのか、健康を労わってくれる気持ちを感じるようになりました。この辺を観察するのも、今後の生活を考える上で大切なことかなと、思わされます。
 
親なきあと

       イラストはイメージです
今は、母親がいなくなった時のことを想定して、足りないところをどのように補えば良いかを模索しています。父親との生活になった時の方が課題が大きくなるような気がします。男性一般に言えることかもしれませんが、父親は外部からの支援を受け入れることがあまり好きではないように思えるので、今後その意味では、居宅支援の利用・生活自立支援事業の利用等の情報の共有や、娘についてのレクチャーが必要だと思っています。本人の「自立」が最終目標で子育てをしてきたので、年齢に沿いながら意識して、少しずつ準備を進めてきました。後は支援を受けながら本人が持っている力で生きていくのではないかと思っています。家庭生活が自立できていれば自分でその環境に応じて、適応してゆくものではないかと思います。どこで暮らしても、誰と暮らしても本人が不安なく、仲良く暮らしていけることを思い描きながら準備してきました。自分でできることをすこしでも多く身に着けると本人の不安な気持ちを軽減できるのではないかと思います。本人が生きやすくなるためにはまだ家庭で学ぶことも多いのではないかと思っています。
本人にとって必要不可欠な「居宅支援事業」「地域生活支援事業」の充実を願っています。
今後の育成会の力で盛り上げていきたい事業だと思います。
☆準備してきたこと
・身辺の自立のために
完璧にできるとは言えないかもしれないけれど、ほぼ身辺の自立はできています。自分で季節に応じての身支度は可能ですが、服装を整える買物はきょうだいが心を注いでくれると思いますし、ヘルパーの支援も必要です。
・自分の健康は自分で守ることのために
 親なきあと
      
       イラストはイメージです
歯科検診と心臓疾患でペースメーカーの年数回の検診は欠かせません。これらについては、自分で検診に行けるように、小学生の頃から受診の都度見守りながら教えて、社会人になってからは検診(心電図・レントゲン・血液検査・問診)から会計まで自立できました。今は次の検診日についても、前日には会社に休みの申請をしてきます。
・家庭での生活・役割分担
ゴミ出し・洗濯ものの取り入れ・炊飯・食卓の準備・食後の後片付け 
家事ができることは、誰と暮らすようになっても、本人の居場所を作ることになる大切な事だと思います。身に着けるためには、家族の協力が不可欠です。現在では年に数回訪れる中・高生になった甥、姪が一緒に後片付けに参加してくれています。
・人間関係を作ること
親の会の活動やボランティア活動に参加すること。余暇の楽しみの場に参加すること、子どもの頃からの家族ぐるみのお付き合いの輪を大事にすることを心がけてきました。
今本人は、悩み事があると、信頼する方々に訴えたり、親を抜きに様々な人間関係を駆使しています。彼女がそのままの姿で理解してもらうことが必要だと思うので親は介入しないようにしています。
・金銭に関すること
金銭感覚が育たないこと等、一番自立が難しい分野です。
今は親が管理しています。日常のお金の問題は、自立生活支援の枠組みを使って支援していただこうと思っています。
生活費についての問題は、きょうだいの負担にならないで生活できるような財源は確保しておく計画です。現在は本人の給与もありますが、将来の収入は障害基礎年金のみとなるので、母親の生命保険を本人の年金になるように保険会社と契約しました。
・成年後見に関すること
高齢になった親も含めて必要なことだと思っていますが、親が任意後見制度を利用することも含めて、どのような形が良いのかまだ迷っているのが現状です。
兄夫婦にはこども2人。妹夫婦にもこども2人、共に県外に在住ですが、心は寄り添ってくれると思っています。親がいなくなった時の生活設計は、それぞれの家族の状況の変化に合わせて考えていくことになると思っています。





親なき後とグループホーム

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執筆者: 授産部 勝岡節子

親亡き後をどうしたらいいのか?障害の子供を持つ親なら誰でも考え、悩むことだと思う。
 親なきあと
                 写真はイメージです
我が子はグループホームに入って3年になる。「入ったから安心だね。」と言われるが、通院、薬の管理、衣類の管理や体調が悪い場合は自宅で世話をすることなど、親がやっていることも多い。普段家にいないだけで彼女の生活に必要な諸々の事柄は親が行っている。離れてみて、解ったが、私自身こんなに娘のことが気がかりになるとは思わなかった。暑い日、寒い日、雨のひどい日等大丈夫かな?洋服は毎日替えているのか?心配で仕方がない。雨が酷い時はグループホームまで迎えに行って事業所に送りたくなる。いつまでも我が子は子供と思ってしまっている自分がいる。親が元気でいる間は面倒をみることは当たり前と思っているが、私が死んだ後、誰がそのことを担ってくれるのか。主人曰く「その時は何とかなるさ。」、ある人は「親と一緒に40過ぎまで一緒に生活が出来るのだから幸せだ。普通の人は親元を離れるから。」だが、普通ではないから親がみることになる。
娘には妹が一人いるが妹は自分の家庭があり生活があるし、自分の家族をみることで精一杯だと思う。金銭管理に関しては費用がかかるが、公的な所にお願いをすれば大丈夫と思う。通院をはじめ身辺的なことを託すのは、グループホームの職員にお願いをするしかないのか?実は私はグループホームを運営する立場でもあるが、職員の人数も不足している現状ではそれも難しい。グループホームの利用者も高齢化してくれば、日中活動の場にもいけなくなる。そこに対応する職員の人数が必須だが不足に悩む。これは全国の福祉事業所全体の悩みでもある。団塊の世代が高齢化し障害者本人も年齢を重ねて、親も今まで出来ていたことが出来なくなってくる。支援を厚くするためにはグループホームで働く人たちの働きやすい職場作りと賃金の問題に関わってくる。親亡き後の利用者を支援していくためにも職員の確保が必須だ。親のようにとはいかないが、同じような支援が出来る職員を育てていく必要もある。利用者にとって第二の我が家でもあるグループホームが居心地の良い住処にすることがグループホームを運営していく一番の課題だと思う。





自立して生活しているわが子に贈るエール

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執筆者:Hさん・母親
子ども:27歳・男性

息子は先天性多発性関節拘縮症という病気を持って生まれました。車イスに乗り、補助具を使って食事し、書き、パソコンを打ちます。トイレは全介助です。おしゃべりが大好きな明るい元気な一人息子です。
 
親なきあと
                 写真はイメージです
「いこいの家」から地元の小中学の普通学級、中央特別支援学校高等部に通いました。学校ではいじめにも会いましたが、それなりに楽しい学生時代を過ごしました。
現在27歳になり昼間は生活介護事業所に通所し、夜は親元から自立してヘルパーさんと生活するというスタイルになって1年半が経ちました。振り返りますと今まで本人が興味を持ったことは挑戦させ、親として見守ってきました。そのたびに練習を手伝ったり、工夫をしてやりやすくするなどしてきましたが、できないこともありました。今回の親から自立して生活したいと言い出したのも本人でした。毎日快適な生活を送れているようで、連絡があるのは週に1回電話があるかどうか。
思えば、いつも友人や知人に助けられてきました。そして社会とつながってきたからこそ難問を何とか乗り越えてきたと思います。
親としての私の考え方は、“ケセラセラ”で、あまり子どもの先を心配しすぎず「なんとかなるさ」と考えています。健康に気をつけて、今を大事に生きていけば良いと思っています。
『D君、がんばれ!』といつもエールを贈っています。






 

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